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第4話  敏腕社長の、ありえない恋愛戦略

last update publish date: 2026-10-21 14:00:15

「……どうしよう」

佐倉大晴は、パソコンの画面を見つめたまま固まっていた。

画面には、一通のメール。

深雪からの返信だった。

『あなたが「ひなたのねこ」だと知っていることは、どうか忘れないでください』

昨夜、自分が送ったメールに対する返信ではない。

それでも、深雪の文章を何度も読み返してしまう。

「……怒ってるよな」

当然だった。

いきなり月100万円の愛人契約を持ちかけたのだから。

普通なら警戒する。

いや。

普通なら警察に相談するかもしれない。

「……やっぱり失敗だったか」

佐倉は額を押さえた。

仕事なら、失敗の原因を分析して次の手を考えられる。

経営判断。

市場調査。

投資。

交渉。

どれも得意だ。

だが。

「女性との距離の縮め方だけは、どうしても分からない……」

机の上には、一冊の雑誌が置かれている。

そこには深雪のコラムが掲載されていた。

佐倉は、そのページをそっと開く。

何度読んでも好きだった。

何気ない日常を切り取って、読む人の心を少しだけ温かくする文章。

彼女の文章には、人を見下ろさない優しさがある。

だからこそ。

実際に会ってみたいと思った。

Cafe Luceで本人を見つけたときは、本当に驚いた。

そして、話してみたら──。

もっと好きになった。

だから。

どうにかして近づきたかった。

結果。

月100万円の愛人契約。

「……どう考えても、おかしい」

佐倉自身も分かっていた。

そこへ秘書から内線が入る。

『社長、十時から役員会議です』

「ああ」

『それから午後は雑誌社との打ち合わせが』

「分かった」

『あと、先日の契約書ですが──』

「後で確認する」

仕事の話なら、いつもの佐倉だ。

声も表情も落ち着いている。

しかし。

電話を切った瞬間。

「……深雪さん」

小さく呟く。

その顔は、完全に一人の恋する男だった。

一方。

深雪はCafe Luceで、いつものように働いていた。

「深雪ちゃん、これ四番」

「はい!」

注文を運びながら、頭の片隅では昨夜のメールを考えている。

T。

和光。

そして、どこか自分を知っているような謎の男。

「……まさかね」

深雪は首を振った。

Tが和光だとは限らない。

ましてや、二人が同一人物だなんて。

考えすぎだ。

そのとき。

「すみません」

声をかけられた。

振り向くと──。

「和光さん」

「こんにちは」

いつもの常連客だった。

「今日も来てくださったんですね」

「ええ」

和光は少し照れたように笑う。

「ここのコーヒー、好きなので」

「ありがとうございます」

深雪は笑顔を返した。

すると和光が、少し迷ったあとに尋ねた。

「塩入さん」

「はい?」

「……文章を書くのが好きなんですか?」

「え?」

一瞬、深雪の表情が固まる。

「どうして……?」

「あ」

和光が明らかに慌てた。

「いや、その……以前、文章を書いているところを見かけたので」

「そうでしたっけ?」

「……たぶん」

「へえ」

深雪は首を傾げた。

和光は視線を逸らす。

「文章、お好きなんですね」

「はい。趣味ですけど」

「趣味……」

和光は少しだけ寂しそうな顔をした。

「……あなたの文章、もっと多くの人に読んでもらえたらいいのに」

「え?」

深雪が目を丸くする。

和光は慌ててコーヒーに口をつけた。

「……すみません。変なことを言いました」

「いえ……」

深雪は考え込む。

その言葉。

昨夜、Tから届いたメールと似ていた。

『あなたに、もっと自由に文章を書いてほしい』

まさか。

「……和光さん」

「はい?」

「もしかして、私の文章──」

「違います」

「まだ何も聞いてませんけど?」

「…………」

沈黙。

深雪は目を細めた。

和光はますます挙動不審になった。

「……やっぱり、変な人」

「よく言われます」

そう言って、和光は苦笑した。

その日の夜。

深雪は自宅でパソコンを開いた。

新しいエッセイを書く。

テーマは「変な人」。

少し考えてから、タイトルを入力した。

『人は、知らないところで誰かを見ている』

書き始める。

今日のカフェでの出来事。

言葉にできない違和感。

誰かが自分の文章を読んでくれていること。

そして。

自分自身が、思っている以上に誰かの心に届いているのかもしれないこと。

書き終える頃には、深夜になっていた。

「……できた」

深雪は満足して保存する。

その直後。

スマートフォンが震えた。

メール。

差出人──T。

『今日、和光という男性と話しましたか?』

「…………」

深雪の顔から、笑みが消えた。

数秒後。

もう一通届く。

『彼には気をつけてください』

「……え?」

深雪は画面を見つめた。

Tは──。

和光のことを知っている。

そして、まるで彼を警戒しているようだった。

深雪の中で、一つの疑問が生まれる。

「……Tと和光さんって、知り合いなの?」

その頃。

佐倉大晴は自宅で、頭を抱えていた。

「……しまった」

送信済みのメールを見つめる。

「これじゃ、余計に怪しまれる……」

敏腕経営者・佐倉大晴。

その恋愛戦略は、今日も完全に迷走していた。

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